ピエール・ド・フェルマーは、17世紀フランスの数学者でありながら、職業は法律家という異色の天才です。
数学を趣味として研究しながらも「解析幾何学、数論、確率論」など、後世に多大な影響を与える数々の業績を残しました。
今回は『天才数学者フェルマーの生涯と功績』について、紹介します。
彼が功績を残した分野から有名な定理まで、歴史やエピソードと共に詳しく紹介をしていきます。
フェルマーとはどんな人か?
ピエール・ド・フェルマー(Pierre de Fermat, 1607-1665)は、フランスの数学者で、数論や確率論、解析幾何学の発展に大きな貢献をした人物です。
彼は職業的には法律家であり、生涯を通じて地方の裁判官として働いていましたが、余暇に数学を楽しんでいた「アマチュア数学者」としても知られています。
しかし、その功績は非常に大きく、現代数学における基盤の多くが彼の研究から生まれました。
<フェルマーの年表>
1607年:ピエール・ド・フェルマー、フランスのボーモン=ド=ロマーニャックに生まれる。
1631年:トゥールーズ大学で法律を学び、地方裁判所の司法官に任命される。この後、生涯を法律家として過ごす。
1637年:有名な「フェルマーの最終定理」を記す。この定理は彼の死後、300年以上にわたって証明されなかった。
1640年:フェルマーの小定理を発表。数論において素数に関する重要な定理として知られるようになる。
1654年:ブレーズ・パスカルとの書簡を通じて、確率論の基礎を築く。これが現代の確率論の誕生となる。
1657年:「フェルマー数」を提唱し、素数に関する研究をさらに進展させる。
1658年:光の屈折に関する「最小時間の原理」を発表し、物理学にも貢献する。
1662年:トゥールーズの高等法院の司法官としての役職を辞し、晩年を研究に専念する。
1665年:ピエール・ド・フェルマー、フランスのカストルにて58歳で死去。
1. フェルマーの生涯と背景
フェルマーは1607年にフランスのボーモン=ド=ロマーニャックという町で生まれました。
裕福な家庭に育ち、トゥールーズ大学で法律を学び、後に司法官として成功しました。
彼は正式な数学の教育を受けたわけではありませんが、膨大な量の数学書を読み、独自に研究を進めていきました。
フェルマーは数学を純粋に趣味として楽しんでいたため、彼の多くの発見は書籍の余白や手紙の中で紹介されることが多くありました。
このため、彼の業績は長らく公にはならず、死後に彼の息子がそれらの発見を編集し、発表したことで広く知られるようになりました。
フェルマーの生涯についてさらに詳しく見ていきましょう。
1.1.幼少期と教育背景
ピエール・ド・フェルマーは1607年にフランスのボーモン=ド=ロマーニャックという小さな町で生まれました。
父親は裕福な商人であり、フェルマーも幼少期から優れた教育を受けて育ちました。
フェルマーがどのような正式な数学教育を受けたかについては詳しく記録が残っていませんが、古典文学や法学に興味を持っていたことは知られています。
若い頃のフェルマーは、古代ギリシャの数学やローマの法学に関心を寄せ、特にユークリッドやアルキメデスの著作に強く影響を受けました。
彼の数論や幾何学への関心も、これらの古代の数学者たちの影響を受けたものと考えられています。
1.2. 司法官としてのキャリア
フェルマーの正式な職業は数学者ではなく、法律家(司法官)でした。彼はトゥールーズ大学で法律を学び、裁判官として地方裁判所で働くようになりました。1631年、彼はトゥールーズの高等法院の顧問官(counselor)として任命され、ここでの役職は彼が生涯を通じて務めたものでした。この職務は彼に安定した収入をもたらし、数学への趣味的な追求を続ける自由を与えました。
フェルマーは特に公的な場での数学者としての活動を好まず、職務の傍らで数学の研究を続けることを選びました。彼は現代でいうところの「アマチュア数学者」でしたが、その成果は非常に高度で、プロの数学者たちにも劣らないものでした。
1.3. フェルマーの学問的活動とそのスタイル
フェルマーの数学研究は、当時の数学者たちとの手紙のやり取りを通じて行われました。
彼は定期的に他の数学者たちと書簡を交わし、そこで自分の新しい発見やアイデアを披露しました。フェルマーの手紙には、問題の提起や証明の概要が含まれていましたが、しばしば詳細な証明は省かれていました。
彼の「私はこの命題の驚くべき証明を発見したが、ここに書くには余白が狭すぎる。」という有名な発言は、この手法を象徴しています。
<フェルマーが最終定理について残した言葉>
「私はこの命題の驚くべき証明を発見したが、ここに書くには余白が狭すぎる。」
これはフェルマーが古代ギリシャの数学者ディオファントスの著書『算術』の余白に記したもので、彼がこの命題に対して「簡単な」証明を持っていたことを示唆するものとして知られています。しかし、その証明は彼の死後に見つかることはなく、以後300年以上にわたって証明が求められ続けました。
このスタイルは、彼の「挑戦的」な姿勢ともいえます。彼はしばしば難しい問題を提起し、それを他の数学者に解かせようとしました。
例えば、ブレーズ・パスカルやルネ・デカルトなどとのやり取りの中で、フェルマーは新しい定理や発見を提案しましたが、詳細な解説や証明を行うことは稀でした。
フェルマーの研究は、主に以下の3つの分野において大きな貢献をしました。
- 数論(整数に関する研究)
- 解析幾何学(幾何学と代数を結びつける理論)
- 確率論(確率やゲームの理論)
フェルマーはまた、古代ギリシャの数学者たちの研究に基づき、問題を解くための新しい方法を提案しました。
フェルマーが開発した方法の一部は、後にニュートンやライプニッツによって発展され、微積分の基礎となりました。
1.4.死後の業績の公開
フェルマーが生前に発表した数学的業績は少なく、彼の多くの発見は手紙やメモに残されていました。彼の死後、息子がその業績を整理し、出版したことで広く知られるようになりました。このため、フェルマーの多くの業績は、彼の死後に評価されることとなりました。
特に彼の「フェルマーの最終定理」や「フェルマーの小定理」は、長年にわたって数学者たちに影響を与え続けました。
最終定理がアンドリュー・ワイルズによって証明された後も、フェルマーの名は数学史に深く刻まれています。
2. フェルマーの数論
フェルマーは数論(整数に関する数学)の発展に多大な貢献をしました。彼の研究は、今日の初等数論の基礎を築いたと言っても過言ではありません。いくつかの代表的な功績を紹介します。
フェルマーの小定理
フェルマーの最も重要な定理の一つが、フェルマーの小定理です。この定理は、次のように表されます。
pを素数とし、aとpが互いに素(aは pで割り切れない整数)のとき、
この定理は、素数の性質に関する重要な結果で、暗号理論や数論アルゴリズムにおいても重要な役割を果たしています。特に、現代のRSA暗号などの基礎にもつながる理論です。
フェルマー数
フェルマーはまた、次の形の数を考えました。
これを「フェルマー数」と呼びます。
彼は、全てのフェルマー数が素数であると考えましたが、後にこの主張は誤りであることが証明されました。それでも、フェルマー数は数論において興味深い研究対象となっています。
フェルマーの最終定理
すでに説明した通り、フェルマーの最終定理は、フェルマーが提唱した最も有名な定理です。
彼が証明したかどうかは未解決のままでしたが、300年以上にわたる挑戦の末、1994年にアンドリュー・ワイルズによって証明されました。
『フェルマーの最終定理』については、別の記事に詳しくまとめています。
3.解析幾何学への貢献
フェルマーは、解析幾何学の基礎を築いた一人でもあります。
彼はルネ・デカルトと同時代の数学者で、デカルトと共に座標幾何学(解析幾何学)を発展させました。
3.1. 解析幾何学とは
解析幾何学(analytic geometry)は、代数と幾何を結びつける数学分野であり、点や図形を数式で表すことができるようにするものです。
特に、座標平面(デカルト座標系)を使って幾何学的な問題を代数的に解決する方法を提供します。
例えば、円の方程式は次のように表されます。
ここで、(a, b) は円の中心の座標、rは円の半径です。
このように、図形の性質を方程式として表すことで、幾何学的問題を代数的に解決することが可能になりました。
このような座標平面を使って幾何学を代数的に扱う方法を確立したのが、フェルマーとデカルトです。彼らの発展した解析幾何学は、後の微積分や物理学におけるさまざまな応用へとつながりました。
3.2. フェルマーの方法
フェルマーは、解析幾何学において重要ないくつかの手法を開発しました。彼のアプローチは、幾何学的な問題を代数的な方程式として記述し、それを解くことで問題を解決するというものです。
最大値・最小値の問題
フェルマーの重要な貢献のひとつは、最大値や最小値の問題に対する解決方法です。これは後の微分法の基礎となるものであり、フェルマーは任意の曲線上の接線を求める方法を開発しました。これは、最大値や最小値を求めるための基本的な手法となります。
具体的には、フェルマーは関数の極値(最大値や最小値)を見つけるために、「接線法」と呼ばれる手法を使用しました。これは、関数の変化率を考え、その変化率がゼロとなる点を見つけるというもので、今日の微積分の考え方に非常に近いものです。
フェルマーは、接線を求めるためのプロセスを「差をゼロにする」という方法で実行しました。これは、現在の微分における「微小な変化率を考える」という考え方と本質的に同じです。彼の方法は、後にアイザック・ニュートンやゴットフリート・ライプニッツによって体系化され、微積分として発展しました。
接線の問題
フェルマーのもう一つの重要な貢献は、曲線上の接線を求める問題の解決です。曲線に対してその接線を引く問題は、解析幾何学における基本的な問題のひとつです。
フェルマーは、曲線の接線を求めるために、接線の勾配(傾き)を計算する方法を開発しました。彼は、曲線の方程式に対して「差分」を使って、その変化量をゼロにすることで、曲線の特定の点における接線の勾配を求めることができることを示しました。この方法は、後に微積分における導関数の概念へと発展しました。
・フェルマーの接線法の例
フェルマーは、曲線のある点における接線の勾配を求めるために、その点の近くにあるもう一つの点を考え、その2点間の「差」を計算しました。そして、その差が極限でゼロになるとき、曲線の接線の勾配を得るという方法を提案しました。
このアプローチは、ニュートンとライプニッツによる微積分の発展に先駆けたものであり、フェルマーがどれほど先進的な考えを持っていたかを示しています。
3.3.解析幾何学の後世への影響
フェルマーが発展させた解析幾何学は、その後の数学において非常に重要な役割を果たしました。特に、以下の分野において影響を与えています。
微積分の発展
フェルマーが提案した最大値・最小値の問題や接線の問題は、ニュートンやライプニッツによる微積分の発明に直接つながります。フェルマーの方法は、微分法における基本的な概念(導関数の考え方)とほぼ同じであり、彼の研究が微積分の基礎を築いたといっても過言ではありません。
物理学への応用
解析幾何学は、ニュートンの力学やその他の物理学的理論においても重要な役割を果たしました。物理学では、運動や力の問題を数学的に扱う必要があり、そのために座標系を用いて方程式を立てることが重要です。フェルマーの解析幾何学の手法は、これらの物理学的問題においても非常に有用でした。
現代数学への影響
解析幾何学は、今日の数学の多くの分野で使われています。代数幾何学や微分幾何学など、現代の数学の多くの理論は解析幾何学の基礎の上に成り立っています。フェルマーとデカルトの業績がなければ、これらの理論が発展することはなかったかもしれません。
4.確率論への貢献
フェルマーは、確率論の分野への貢献は17世紀の数学界における大きな革新の一つです。
フランスの数学者ブレーズ・パスカルとの間で行われた手紙のやり取りは、確率論の基礎を築くものとなりました。
特に、「賭けの問題」として知られる問題を解決するために、確率の基本原則が生まれました。この業績が、現代の確率論や統計学の基盤となっています。
4.1. 確率論の誕生
17世紀のヨーロッパでは、ギャンブルや賭け事が社会で広く行われていました。
こうしたギャンブルの結果を数学的に予測したいというニーズが、確率論の誕生につながりました。
それまで、確率に関する体系的な理論は存在しておらず、直感や経験に基づいて判断が行われていたのです。
この背景の中で、フランスの貴族であり数学者のブレーズ・パスカルは、賭け事に関する難問に直面していました。それは、2人のプレイヤーが途中で打ち切った賭けの配当をどのように公平に分けるかという問題です。
パスカルは、この「分配の問題」に対する解法を見つけるために、ピエール・ド・フェルマーに助言を求め、2人の間で書簡が交わされることになりました。
4.2. 分配の問題(賭けの問題)
分配の問題は、当時のギャンブルでよく見られた状況を扱ったものです。
具体的には、次のようなシナリオが想定されていました。
<賭けの問題の具体例>
– 2人のプレイヤー(AとB)が、5回のゲームで先に3回勝った方が賞金を手に入れるというルールで賭けをしています。
– しかし、賭けの途中(例えば、Aが2回勝ち、Bが1回勝った時点)でゲームを打ち切る必要が生じました。
この場合、賞金をどう分配すれば公平でしょうか?
当時、このような賭け事に対して、正しい解法が存在していませんでした。
パスカルはこの問題をフェルマーに持ちかけ、2人は互いに解法を考えました。
このやり取りを通じて、現代の確率論の基礎となる考え方が生まれました。
4.3. フェルマーとパスカルのアプローチ
フェルマーとパスカルは、それぞれの数学的洞察を用いて、この問題を異なる方法で解決しました。
パスカルのアプローチ
パスカルは、「パスカルの三角形」という独自の数の配列を使って問題を解きました。
パスカルの三角形は、二項係数を視覚的に表現したもので、確率を計算するための非常に強力なツールです。
パスカルはこの三角形を使って、今後のゲームの全ての可能な結果をリストアップし、それぞれの結果がどの程度の確率で起こり得るかを計算しました。これにより、途中で打ち切られた場合の賞金の公平な分配が明確にされました。
フェルマーのアプローチ
一方、フェルマーはより直接的なアプローチを取りました。
彼は、残りのゲームの全ての可能性を計算し、それぞれのプレイヤーが勝つ確率を数え上げるという方法を用いました。
例えば、Aが2回勝ち、Bが1回勝った状態でゲームが中断された場合、残りのゲームでAがあと1回勝つ可能性と、Bが2回連続で勝つ可能性を数えました。
Aが勝つためには次のゲームで勝てば良いので、その確率は高いですが、Bが逆転するためには2回連続で勝たなければならないので、その確率は低くなります。
フェルマーは、このようにして各プレイヤーの勝利の確率を計算し、それに基づいて賞金をどのように分配すべきかを決定しました。
4.4. 確率論の誕生
フェルマーとパスカルのこれらのアプローチは、後に「確率論」という数学の一分野を生み出す基礎となりました。
彼らの考え方は、賭けやゲームだけでなく、将来の予測や意思決定における不確実性を扱う方法として発展していきました。
このやり取りを通じて、フェルマーとパスカルは、偶然の出来事に数学的な構造を与え、それに基づいて計算できるようにしました。
これにより、確率論は、賭け事に限らず、科学や経済、統計学など、さまざまな分野で応用されるようになりました。
4.5. 現代確率論への影響
フェルマーとパスカルの確率論への貢献は、後にヤコブ・ベルヌーイやピエール=シモン・ラプラスといった数学者たちに引き継がれました。
彼らは確率の法則をさらに発展させ、確率論を統計学や物理学に応用する道を切り開きました。
また、現代の確率論は金融や保険、統計的推測、機械学習など、幅広い分野で不可欠なツールとなっています。
確率論に基づいた統計的手法は、データの解析や意思決定の基盤を提供し、ランダム性や不確実性を正確に扱うことを可能にしています。
彼らの研究は、単に数学の分野を広げただけでなく、確率という概念を初めて体系的に扱うことを可能にしました。
まとめ
今回は『天才数学者フェルマーの生涯と功績』について、紹介しました。
ピエール・ド・フェルマーは、数学の分野において多大な貢献をした人物であり、特に数論や解析幾何学、確率論の基礎を築いたことで知られています。
彼の数学的洞察力は、単に定理を発見するだけでなく、後の世代にわたる挑戦をもたらし、数学の発展に大きな影響を与えました。
ほかにも『魅力的な数学の世界』についての記事を書いています~!